MITEMANA(ミテマナ)コラム

2024.10.04

朝日新聞EduAからのインタビュー記事が掲載されました!

自身が発達障害のカウンセラー 「何の役にも立たない」と言う母に向き合えたのは、デートDVと大病がきっかけだった

「犬と私、どっちが好き?」母に毎晩確認した


――大人になって、発達障害の診断を受けるまでどんなことに生きづらさを感じていましたか。

他人との距離感がわからず、空気を読むこともできなかったので、小中高といじめを受けていました。でも、不登校になるとますます親に嫌われ悲しませるのではと思い、何とか学校に通い、昼休みはトイレと図書館が居場所でした。

板書ができない。視覚、聴覚が過敏。文字が動いたり回ったりして見える。そんな症状はありましたが、周りのみんなも同じだと思っていました。幼少期の頃、言葉が遅い、滑舌が悪い、要領が悪い、熟睡できない、頭痛がひどいなどといったことが原因で、母は色々な病院を回ったそうですが、「発達障害」が広く認知されていた時代ではなかったので、診断が出ることもありませんでした。

これも大人になってからわかりましたが、私は発達障害のほかに、感受性が異常に強く、環境や刺激に敏感に反応する「HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン/Highly Sensitive Person)」という気質の当事者でもあります。

そんな私にとって、なによりつらかったのは、母の言葉です。

「なんでこんなに役に立たないの?」
「なんで誰よりもやることが遅いの?」
「人より3倍頑張らないとついていけないよ」

極めつけは、学校でいじめられていることを相談した時の母からの言葉。

「あんたが悪いんじゃない?」


後からわかりますが、母は、私を周りの普通の子と比較しながら、何かがおかしいと悩んできた一人です。
でも、子どもながら、自分は普通よりかわいくないし、できない子だから母親に嫌われていると思っていました。

なので、いま考えればおかしな話ですが、毎晩母に確認していました。



「(飼っている)犬と私、どっちが好き?」

「ありさでしょ」と呆れた顔で言われるのですが、その言葉がないと不安で眠れない毎日。常に自己肯定感はどん底の状態で過ごしてきました。



――高校生のときに、運命的な出会いがあったそうですね。

高校1年の夏でした。・・・・

この続きは、朝日新聞の記事をご覧ください!
私の幼少期を赤裸々に語らせて頂きました☆彡
下記より記事をご覧いただけます!
https://www.asahi.com/edua/article/15451108
 
 
 
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